礼拝
石田政美
常盤台バプテスト教会 2024.1.28 主日礼拝 「踏み出せ、そしてわたしを信ぜよ」石田政美師(横浜JOYバプテスト教会派遣牧師)【列王記上 17章1~10節】(新共同訳 旧約P.561)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 ヨハネによる福音書 4章13~14節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生1番「聖なる 聖なる 聖なるかな」1.2.4節
献金感謝
聖書 列王記上 17章1~10節
特別賛美 "You Raise Me Up"
宣教 「踏み出せ、そしてわたしを信ぜよ」 石田政美師(横浜JOYバプテスト教会派遣牧師)
祈祷
賛美 新生634番「キリストの愛われに迫れり」1~3節
頌栄 新生669番「みさかえあれ(B)」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- ・私に献身の促しがあった時、こんな軟弱な欠けの多い者がどうして牧師として仕えていけるかと困惑しました。そんな時、ヤコブの手紙5章7節「エリヤは、わたしたちと同じような人間でした」の御言葉が臨んだのです。
・エリヤは旧約の大予言者でした。しかし、彼は、私たちと同じような弱さを持ち、同じような失敗をしてきた人でした。しかし、神は、この人を用いて偶像崇拝と罪の流れをせきとめ、民と神のもとに帰らせる偉大な預言者とされました。完全なモデルは、かえって私たちに近づき難い印象を与えますが、エリヤの弱さは、神に選ばれ牧師になろうとするこの者に大きな励ましを提供してくれました。
・エリヤは、神に用いられる前に、神の訓練を受けたのです。
神のしもべは、一度に一歩しか踏み出せないことを学ばなければならない。
・これは非常に困難な学びである。神は私たちが信仰をもってその一歩を踏み出すことをお命じになる。もし私たちが、神に「もしこの一歩を踏み出すならば、必ず困難にふつかると思います。その時はどうすれば良いのですか」と尋ねるならば、天は黙して語らないであろう。そして「踏み出せ、そしてわたしを信ぜよ」という一つのメッセージをくり返される。神は一度にすべての指示を与えられない。
・エリヤは、導かれたとおりに一歩を踏み出した。すると、「主の言葉がエリヤに臨んだ」のです。それからの後のできごとも同様であった。回心したサウロが「主よ、私に何をさせようと望んでおられますか。」と尋ねると、「さあ、立って町に入って行きなさい。そうすればそこであなたのなすべき事が知らされる」(使徒9:6)と言われた。神は私たちが一歩を踏み出すごとに、次々と飛び石を用意しておられる。パンは日ごとに与えられる。聖霊は一歩踏み出す時、助け主となって働いてくださる。こうして服従と信頼という崇高な習慣を学び、神が生きておられることを体験する。
2. 神のしもべは、隠れた生活、価値を教えられなければならない。
神はエリヤに「ここを去り、ケリト川のほとりに身を隠せ」と命じられた。ケリト川とは、時がくれば水が枯れる川、目に見える頼る物がなくなる所、そのほとりに身を隠せと言われた。偉大な聖徒たちは、例外なく、隠れたケリト川で、力を得た。主イエスは、ナザレにおいて、ユダの荒野、ベタニヤのオリーブの森、寂しい所で、ご自分のケリト川を持たれた。神のしもべはなんらかのケリト川を必要としている。まず密室に入り、戸を閉じて幾時間も神との交わりを持たなければ霊的な力を得ることはできない。
3. 神のしもべは絶対的に、神に信頼することを学ばなければならない。
・「わたしは、からすに命じて、そこで、あなたを養わせる」と神は約束される。そこは、水のかれるケリト川、腐肉を食べるからすに養われる所、そこに留まるかぎり、神が養うことを約束しておられる。神は無限の資源を持っておられる。私たちが神の約束されるみこころの場所において神に仕えているならば、たとえ天地がくずれ去るとも、神は必ず必要な物を供給してくださる。神のしもべは、そこで絶対的に、神に信頼する信仰を学ぶ。
4. 神のしもべはしばしばかれてゆく川のほとりにすわる。
・神は、なぜケリト川を枯れさせたもうたのか。それは神の賜物に信頼するのではなく、
神ご自身に信頼することを教えようとされるからである。私たちの自我を枯れさせようとしておられるのである。
・すべての満ち足れるものは、主イエスの中にある。私たちのかれるケリト川に背を向けて、かれることのない主の方を向いていこうではないか。